梅棹忠夫氏 死去 90歳 …『文明の生態史観』 『知的生産の技術』 

梅棹忠夫氏 死去 90歳 …『文明の生態史観』 『知的生産の技術』 
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1 イシダイ(dion軍) 2010/07/06(火) 18:35:34.52 id:nh2X5E8i BE:2580749287-PLT(12123) ポイント特典
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梅棹忠夫さん死去 90歳…民博設立「文明の生態史観」

 世界の文明と民族文化を独自の視点で解明し、戦後日本の指針を示してきた人類学者、
比較文明学者で文化勲章受章者の梅棹忠夫(うめさお・ただお)さんが3日午前11時7分、老衰で亡くなったことが分かった。
90歳だった。告別式は親族で済ませた。喪主は妻、淳子(じゅんこ)さん。
後日お別れの会を開く。連絡先は大阪府吹田市千里万博公園10の1、国立民族学博物館

 京都帝大在学中の1942年に、旧満州中国東北部)の大興安嶺(だいこうあんれい)を探検するなど
アジア、アフリカ各地で生態学民族学調査を行った。

55年には、戦後初の本格的海外調査となる京都大カラコラム・ヒンズークシ(アフガニスタンなど)学術探検隊に参加。
この経験をもとに57年、「文明の生態史観序説」を発表。敗戦で自信をなくしていた日本を西欧と並ぶ文明と位置づけ、反響を呼んだ。

 京都大人文科学研究所の教授に就いた後、70年の大阪万博開催にも尽力、佐藤栄作首相のあいさつなどを起草した。
閉幕後、跡地利用として、民族学の拠点・国立民族学博物館の建設を提唱、初代館長として民族学、人類学の共同研究を指揮した。

 この間、学術調査で得たデータから新しいアイデアを生み出すテクニックを分かりやすく解説した「知的生産の技術」がベストセラーとなった。
著書は、ほかにも「モゴール族探検記」「東南アジア紀行」「情報の文明学」など多数。

 86年、ウイルス感染で失明したものの口述筆記で著作を発表。91年に文化功労者、94年文化勲章を受章。

 2004年には肺と胃にがんが見つかり、2度の手術をしたが、
08年6月に大阪で開かれた米寿を祝う会で元気な姿を見せ、今春まで、自宅から近くの同博物館に通っていた。

 哲学者の梅原猛さんの話「これほど悲しいことはない。梅棹さんは京都学派の若手から1950年代、さっそうとマスコミ界に登場した英雄。
最初に会ったのは互いに40代のころだが、仏文学者の桑原武夫さんが常々『梅棹は天才だ』と言われていて、
凡才の私には発奮材料だった。ずっと目標としていただけに、ショックでなりません」

http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20100706-OYO1T00708.htm?from=top



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この人の文章はしばしば読んだことはありますし、NHKのラジオ講演会での講演も聞いたことがあったかと思いますが、著書は持ってません。
この人は民博の初代館長さんだったんですね……。
最初ニュースを聞いたとき、一瞬、梅原(猛)さんが亡くなったんかと思いました。
今度、著書を読んでみたくなりました。
御冥福をお祈りいたします。