一期の中盤以降の展開を見るに、主役はむしろなのはではなくフェイトと言えるのではないか

第2のヒロインたるフェイトには、鉄腕アトムの抱える命題と類似するパターンがある
アトムの物語を思い返してみよう

事故死したトビオを技術的に蘇らせるため、持てる最高の技術で故人とそっくりのロボットを天馬博士が製造する


しかし、しょせんは外見ばかり。人工的な存在(ロボットなので当然であるが)故に成長しないため、博士は怒り狂い、アトムを憎悪し、サーカス団に売り飛ばす


実の親に捨てられたアトムは、お茶の水博士によって引き取られ、愛情を注がれ、子供として育てられる。博士から人間としての「心」を教えられ、自分の持つ「力」が正義や平和を護るということに気づく


そのヒューマニズムは、世界に影響を与えていく


擬似的とはいえ、ウランやコバルトなど、大事な家族ができ、彼自身は孤独から救われる

しかし、一方では作者(手塚治虫)により、外見的成長を禁じられる『永遠の子供』でもある


フェイトとの共通項は
1.事故死した子供の代わりに人工的に産み出され

2.一方的に親に排斥される

3.心身喪失状態であったフェイトは、なのはやリンディ等との触れ合いにより、人間的な成長をとげる
また、リンディの養子に迎えられることで、子供らしい素直な感情と教育や生活を受けられるようになった。これはアトムがお茶の水博士に拾われた事と同一である


しかしアトムと違うのは、アトムが機械であるのは違い、フェイトはアリシアのクローンであることを除き、普通の人間である事だ
つまり永遠のアトムと相違して大人へと成長できるのだ

そして、母ともなる……母となることで、彼女はプレシアの気持ちや痛み、悲しみを理解する

男性的なアトム
女性的なフェイト


この相違は果たして男女の違いからくるのか――

おそらく、フェミニズムの問題としても考えられるのでは、とも思ったりもする